昭和57年09月27日 朝の御理解



 御理解 第7節
 「天地金乃神は昔からある神ぞ。途中からできた神でなし。天地ははやることなし。はやることなければ終わりもなし。天地日月の心になること肝要なり。信心はせんでもおかげはやってある。」

 天地と私共人間との関係を、これほど端的に教えられたみ教えはないと思います。私共が様々な宗教、いわゆる信仰を観念に置いておりますから、こんなに適切なこんなに素晴らしい事が、何んか漠然としてくるんです。ですからここに過去の宗教と言った様な、勿論それが人の助かる事のために出来た宗教が、本当の助かりに到達しない、本当の助かりには届かない、言うなら教えというか宗教がね、あったことがかえって災いのもとになっておるように思うんです。
 ですからこの大づかみに言うて、もう人間がまた人間の住む世界が、真の幸福幸せを頂けれるためには、この信仰以外にはないんだと言う事をね、先ずは私共がそれを実験実証の上に立って、それを信じてそれを広げて行く事が、とりもなおさず和賀心時代を世界に、と言う事になるのです。もうとにかく人間、今日の御理解で言います人間の幸せというのは、私共が天地との関わり合いをまず分かって、その天地の心を心とする生き方を目指さなければ、人間の真の幸せはないんだよ。
 と言う事を教えるだけなのですけれども、様々な宗教に災いされてそこがはっきりしないわけです。それで今合楽でいわれる、その御理念に基づく生き方というのがです、ね、いわゆる天地の心を心とする生き方。日月の心を心として、日常生活の上に私共が頂き表していくという生き方を、改めてそこにいたとき、そして改めてその実証をもって、真心の道を迷わず失わず末の末までも教え伝えていかなきゃならんのです。もう人間は天地の心を心とするという生き方を。
 もう生まれてから死ぬるまでこれに精進したらいいのだと。ね、そこには今まであまりにもまあ教えらしい教えというか、様々宗教が様々に説いて来た、それが大変その邪魔になるわけですね。お釈迦様はこう言いなさったのキリスト様はこう言いなさったの、といったようなことが入ってくるもんですから複雑になるんです。もう私は本当に端的に、単純にね、教祖様は今日の御理解7節などは教えておらえるんだけれども、何かこぉ金光教が特別なことをのような、特別なもののような感じがするんです。
 だから結局教祖様がこんなに素晴らしい教えを説いておって下さるのだから、こんなに素晴らしいおかげが受けられるという、言うならもう他に手はないのである。もう何をするにも御理念による他はないと言う事は、もう何をするにも天地日月の心を具体的に、それでも誰でも行じられるように説き明かしてあるのですから。もうこれに徹する以外にはない。人間の幸せ人間世界の幸せというのは、もうこれ以外にはない。氏子信心しておかげを受けてくれよ、という天地の親神様の切実心がね、金光教祖によってまぁ今日の御理解7節のようなふうにまぁ説かれてくるわけです。ね。
 本当に天の心とは地の心とは日月の心とはと私共がね、もうそれ一本にしぼったらいいのです。そこに人間の人間社会の幸せ、平和と言ってもいいでしょうね。人間ひとり一人の幸福が約束されるのです。他んことももう一遍全部、他のまぁ観念的にはどうでも知っておったり、教えられておった事を、まず一つでんかなぐり捨てて、まぁ言うならば、信心はせんでもおかげはやってあると仰る。そういうおかげをですね。
 天地のご恩恵と分からしてもらい。その天地のご恩恵に対し奉る神恩報謝の心、その神恩報謝の心がですなら最近言われる、ね、もう真実の御用と言う事になるのわけ。その真実の御用。本当の御用というのは、私共が真になる事、真心になる事だというふうに言うと難しくなりますけれども、もうとにかく天地日月の心にならせて頂く事を精進しぬく。それを信じながら、御用を頂く事が本当の御用なんだ。真の信心なんだ。真の御用とはそうなんです。ですからね。
 まぁ色んなそのまぁ本当に教祖金光大神のみ教えが、もう一本化しなきゃいけないですね。はい。そして言うならば、もう人間はこの世に生まれたときから死んで行くまで、ね、「土へ入れて土に帰るのだからその道中とても土の心」を身に付けて行くと言う事以外にはないんだよ。人間の幸せというのは、もうこれはもう人間一人ひとりに教え、教えこまなければいけない。天地日月の心になる、言うならば精進を限りなく続けて行く以外にはないんだよ。
 そこに人間の幸せが、人間世界の平和があるんだよ。天地金乃神様の願い、氏子信心しておかげを受けてくれよ、と願われるその願いが生きとし生きるものというと、人間だけではない。もうあらゆる動物植物一切が、言うなら今日の御理解で信心はせんでもおかげはやってあるというおかげの中にあるのです。けれどもねこれを体得して、おかげを表していけるのは人間だけしかないのです。
 牛やら豚やらに教えを説いても分からないように、ね、天地の親神様の、いわゆる信心はせんでも豚にでも牛にでも馬にでも与えてあるのです。ですから私共人間一人一人がですね、そこの所のまあ信心。信心というか人間が幸せになる根本の所というものが、ね、土より入れて土に帰るんだその道中とても土の、その土の心と言う事が、天地日月の心と言う事にもなってくるのです。だからもうそれだけに専念すればいい、それだけを勤めたらいい。そういう信心をですね。
 私共が頂き表しておかげを頂き、それを私は間違いなく伝えていかなければならん、ね。だからあれもよい、これも本当と言う様な事はないのです。もう本当はここがこれ一本です。人間の幸せのね、まぁ言うなら条件のすべてがこの生き方で行けば、天地の親神様の氏子信心しておかげを受けてくれよと仰る願いに答える事になるのです、ね。この神様でおかげを頂かんなら何々様でもいいと言った様な事は、もう全然あろう筈がないのです。迷いやら起させてもならん、起こしてもならないと言う所までね。
 私共がなら今日のみ教えならみ教えを、本当に体得する事、マスターする事。そしてそれを体得の上に実験実証していくこと。他にない。どんなに素晴らしい例えばなら教えがお釈迦様によって説かれたり、キリスト様によって説かれてあっても、それはもうかえって人間の幸せのためにはね、大変な何というかね言うなら邪魔になるのです。だからそういう少しばかりの観念はいっぺんかなぐり捨ててしもうて、もう生まれたままの赤裸々な姿で、天の心とは、地の心とはと求めていく。
 その求めていくというても、合楽ではそれを説かれるのであるから教えられるのだから、それを純粋な心で素直な心でそれに徹しようとする姿勢をつくって、そして始めてね、人間の生は人間社会の平和はもうこれによる以外にはない、というものを確信づけて行きながら、それを末の末まで伝えて行くという。これはどうでもだからね、まぁいうならば本当の宗教大革命がなさらなければ。
 ここに教祖のみ教えは本当は分からんのじゃないだろうか、ね。教祖のみ教えが何々様のみ教えにもよく似たのがあるとか、言われる事も同じだと言った様な観念が、まず捨てられなければだめなんです。金光教の信心はね、何を勉強することもいらん。ただ天地日月の心を勉強して、いわゆる天地の心を心とする言うならば生き方を、愈々私共の生き方の上に頂き現して行く。神様が願っておられるのは、どうぞ信心してというのは、どうぞ信心して天地日月の心を心とする生き方をしてくれよ。
 これは人間だけしかできん。しかも、人間がやろうと思えば誰でも頂けれる道なんだというふうに神様は言っておられるように思います。私共はあまりにもいろんなその何というかね、雑念が起きるような、もとを私共が身に付けてきておるね。本当に、もうそれこそ赤裸々な、ね、生まれたままの心、生まれたの姿でそしてこの例えばみ教え、今日私が申します様な事を教えこまれてきたら、人間社会はもっともっと素晴らしい、輝かしい世界になって行く事であろうけれどもね。
 いろんなものが入りすぎた、ね、まぁ勿論その中には、我情我欲と言う事にもなりましょう。我情我欲が身につきすぎてきた、ね。だから結局はその我情我欲と言うても、私共が今まで少しばかり勉強して身についてきたものを一遍かなぐり捨てて、もう赤裸々に生まれたままの姿でね、天地金乃神様の心を心とする生き方。天地日月の心になる事だけに、まぁ学校で言うなら小学校の一年生からね、まぁこのことを教え込まれていかなければいけない、ね。
 そしてこれは銘々の持ち場とか立場というものがありますから。それぞれの生活の現場でね、本当の御用が出来る、ね。本当の御用、いわゆる真の御用である。神様のおかげを頂かなければできることではないという確信をもっての御用。そこに天地との交流が、いうならばいつもなされる、ね。日々天地金乃神様と合楽し合うていけれる、お礼が言いあえていけれる世界が開けて来る。ね。
 そこに言うならば、天地日月の心を心とする生き方から、神様が願っておられる氏子信心しておかげを受けてくれよというおかげを頂きながら、この世だけではない、それをあの世にも持って行ける、そういう繰り返しが出来るようなね、いわば根本の所をまあ合楽では皆さんが勉強しておられるんだと言う事です。ですからみなさんがどうしても矢張りその、実験実証をしてそういうおかげを成程、この生き方以外ないなと、一切を合楽理念に基づく以外にないなと。
 これが天地日月の心を心とする生き方に精進している姿なんだな。日々の御用そのものが、天地日月の心になる事の精進の現われなのだと、まぁ端的に言うとそう言う事なんですね。だからもう、いわば簡単なんですけれども。私共が他のいうならば考え方やら思い方やら人間が幸せになるためには「あぁもせにゃならん、こうもせにゃならん」と言ったようなね、もちろんそれもまぁいいんでしょうけれども、ね、とにかくその御用一つでもです、天地に還元の出来る御用、一本にしぼったらいいのです。
 もう本当にあの金光教の独自性、と言う様な事が昨日はここで、金光教の最近教団一新と言う事が言われる。昨日ここでここの教会の連合会の方たちの集いがここでございまして、各教会のまぁ幹部の方達が集って、その全教一新と今まで言っておったけれども、教団一新と言う様な表現で、いわゆる金光教の独自性というものを打ち出しての一新ということだそうでございますが、今日皆さんに聞いて頂いた、もうそれこそこれは絶対の金光教の独自性なんです。金光教でなからなければ頂けんのです。
 だから今日聞いて頂いた様な所をです、教団全体のその一つの焦点というものがね、訴えられるようになったら、助かる金光教と言う事が言えれるように思いましたね。もうそれこそ末の末まで教え、もうとにかく人間はね、あれが出来たこれが出来た、あれを覚えた、とぐらいな事じゃいかんのだよと。もうどうしても天地日月の心を心とする生き方にならなければ本当のおかげにならんのだよ。
 ここが分かってからの仕事は、もうそのまま天地へ還元する仕事であり、ご用なんだぞと言う事をね、子にも孫にもしんから教えて行く事の為には、私共はしんから体験を持ってそれが言えれる信心をね頂かなければいけないと言う事になります。
  どうぞ。
 もう何かしらん皆さんに今日は聞いて貰いながらね、まちっと何とか素晴らしい表現で、ここの所を皆さんに分かってもらえる手立てないだろうかと、まぁ私の心の中はそれがいっぱいなんです。だから言葉には出せません、言い現しかたを知りません。けれどもそういう中から皆さんがね、先生があぁやって言っておる所を、愈々御理念に基づくありかたというのは、そういう大変な事なんだと言う事を、まっ大変な事だとして頂かなければだめです。おかげを頂くためにはそうする、ぐらいなこっちゃでけんのです。はい。どうぞひとつ、天地日月の心を心とする生き方をね、人間の全部が人間氏子にこの事を分からせなければいけんです、ね。
   どうぞ。